孤独は不幸を知らない

人は本当に不幸の只中にいるときは
声も出せないし、
泣くこともできないものだ。
不幸な世界しか知らないのだから
出口に光があると
想像することがまずできない。

私はずっとお花と一緒にいたかった。
その為に生まれてきた。
けれども、
ずっとずっと遠回りして
自分が花が好きだったことも忘れて
自分が何者だったのかも忘れて
身体も、もうボロボロになって
誰からも見捨てられたようになって初めて
私は私を取り戻した。

私は今になってやっと
自分が何者であったのか、
何をしに来たのかを思いだしたのだった。
もう、電車を降りるという時に。
もう、花びらも散ろうという時になって。

辛い辛いと言っている人間が
本当は不幸でないことを知っている。
本当に不幸な人間は、
その声さえも失っているものだ。
本当の不幸は音を出せないし、
誰の目に触れることもない。

三つ子の魂百までというけれど、
三歳で既に人は不幸に適応している。
自分が不幸だと言う人は
幸せを知っている人だ。
不幸は、幸せを知らないと認知できない。
幸せを味わったことのある人が、
自ら不幸を選んでそこにいて、
自分は不幸だと言っている。
なぜなら、その方が楽だからだ。

…だから、
私はもう不幸な人を救おうとはしない。
その人自身が望んでそこに居るのだから。

自分を飲み尽くそうとする闇も、
崩れていく身体も、
みんな幻影だ。
全てを味わい尽くした後、それらは
霧のように晴れ上がる。

こんな話は誰にも言えないけれど
私は、世界のどこでもない
ただこの花の隣にいようと思う。

それこそが真に私のするべきことなのだから。

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